人は罪深いということ 豚バンジーさせる中国人

一部の野蛮な中国人による豚バンジーが肉食文化について考えさせるきっかけをつくる

今、一部をにぎわせているのは、1つ前の干支を飾る豚にバンジージャンプさせて春節を迎えようという中国で行われたイベントだ。
豚は四つ足を縛られ落とされた。SNSは大炎上だ。

命を重んじる日本の教育を受けてきた一般的な人であれば、やはり中国人は野蛮だと顔をしかめるのが正常な反応だろう。
動物福祉論に寄る私も、この風習を良しとする中国人は絶滅してほしいと心から願っている。

その一方でふと思った

日ごろ口にしている豚も、牛も鶏も、感情をもっている。
痛みや死に恐怖する。
実際に手を下していないだけで、私たちは彼らの命をいただいている。

この世の大半の人が意識していないのに、問われれば当たり前だと言われる正論が、中国の風習の一件で私のなかに蘇ったのだ。

そして思った

人は罪を重ね続けて生きている。
正確には、命を奪いながら生きる人は罪を重ね続けている。

ライツかウェルフェアという論争や考えの違いはさておいて、私に限った話をする。

豚や牛、鶏たちを食べるために殺す。
殺してはいないけど食べれば罪になる。
1頭1羽を一つとして考えると、どれだけの命を奪ってきたのだろう。
その罪はどれほどの重さになっているのだろうか。

今回の豚バンジーを知って思ったのは、重さもわからないほど命を奪ってきた身が、幸せになることはあり得ないんじゃないかということだ。

ケガをする。病気になる。
自分や人が思うようにならない。思うようにいかない。
運が悪い。
これらは罪を重ね続けるものが受ける当然の報いなのではないか。
感謝の気持ちをもって食事していても、それで相殺されるわけがない。

反対に、健康でいるのはケガや病気の前兆で異常なこと、成功するのは失敗や挫折の前兆で異常なこと、運がいいのは異常なこと、そう考えられないか。

ただこうなると、ポジティブな精神論が浮かんでくる

罪を背負うものが罰を受けるのは当然のこと。

仮にいま自分が罰を受けている状態ならそれは平常運転で、その状態から抜け出すあがきをすることこそが生きること。

そしていま自分が健康で成功し続けて運がよければ、異常なことと捉えて通常に戻る備えをしながら慎重に生きるべきだ。

殺した豚たちに赦しを請おうとは思わない。
ふと思い出したときにありがとうと感謝を込めて食べることで、罪悪感を消そうとするだけだ。

今回でてきたこの考えも、私の性格的に長くは続かないだろう。
真面目に考え続ける体力がない。
ただ、中国人ヘイトと、食用になる動物たちへの愛情と感謝は変わらない。

ということを、今は通常か異常かの判断がつかないまま考えて寝に入る。

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