『あしたは最高の始まり』 クリスティンと監督への憎悪が沸き上がる

フランス映画にはことごとく裏切られる。『あしたは最高のはじまり』の内容に最高な要素はどこにもなく、映画を観始めたとき、それは『最低な時間のはじまり』になる。

黒人とプレイボーイが結びつかないのは、黒人を知る機会が少ないからか。
私は黒人だけでなく、軽度の外国人恐怖症だが。

多人種がいる環境で育っていれば、それほど気に留めないのだろう。
環境は人を鈍くさせる。

しかし日本から見ると様々な人種が多くいるアメリカでも、人種差別が激しいという。
環境で変化しないのはなぜか。
その理由は人にある。

日本ではダイバーシティが広く謳われているが、人々の生活に目を向けるとそれは浸透していない。
「男の子だから我慢しなさい」「女の子だからおしとやかにしなさい」と叱られ、「ホモ」や「ゲイ」は人を揶揄する言葉として刷り込まれていく。
そうした伝統が受け継がれていく。

習慣を変えようとしても、変わらない人に邪魔される。
例えば親が努力しても、家族や教師、同級生に変わらない人がいれば影響を受けてしまうかもしれない。

これと同じことが海外でも起きているのか。
黒人を蔑視する「変わらない」人が、「変わろうとする」人たちの邪魔をする。
我々日本人も海外に行けば、肌の色や史実で判断され差別の対象になる。
古くから変わらない価値観で迎えられ、蔑称で呼ばれる。

映画の話

あしたは最高のはじまり』は“Demain Tout Commence”が原題のフランス映画だ。
原題の意味は「明日は新しい一日」で、邦題と少しずれている。
しかし映画を観ると、最低の意訳だということに気づく。

南仏コートダジュールで、毎日がバカンスのような気楽な暮らしを送るサミュエル。ところが、かつて関係を持ったクリスティンが現れ、生後数か月のグロリアを「あなたの娘よ」と預けていく。慌てたサミュエルはクリスティンを追ってロンドン行きの飛行機に乗るが、心に傷を負った彼女は消えてしまう。呆然とするサミュエルを救ったのは、彼にひと...

オマール・シー演じる主人公のサミュエルはプレイボーイの黒人。
いつも通りフランスでチャラい生活を送っていると、依然関係を持った女クリスティンが現れ、お前の子どもだとサミュエルに赤ん坊を預けていなくなってしまう。
サミュエルはすぐに母親を追ってロンドンまで行くが見つけられず、所持品は盗まれ仕事もクビになる。

ここからネタバレ

しかしなんやかんやあってスタントマンとして成功したサミュエルは、グロリアを立派に育て上げて充実した生活を送っていた。
そんでまたなんやかんやあって、8年ぶりにクリスティンと会う約束をとりつける。
これがイライラのはじまりだった。

まずこの女、グロリアに再会した際、サミュエルに対して礼の一言も言わず普通に接してくる。
グロリアに対しても謝罪なくただただ笑顔。

あげくの果てに、これまでの時間を取り戻したいとサミュエルからグロリアを引き離し、新しい恋人のローウェルと3人で暮らそうとする。
猛反対するサミュエルに激昂し、ついには裁判で親権を争うことに。

一度は親権を勝ち取ったサミュエルだが、懲りないクリスティンはDNA検査を申請する。
その結果、サミュエルは実の父親ではないことが判明し、同時期に何人もの男と避妊せず性交渉したクソビッチクリスティンに親権がわたる。

最終的には、グロリアとサミュエルが一緒に逃亡し、グロリアが病気で余命いくばくということを知ったクリスティンも諦めてみんななかよくフランスの海岸で楽しく遊んでいる様子が流れる。
が、最後のサミュエルの独白でグロリアはその後まもなく死んだことがわかる。

私の印象を要約すると、充実した暮らしをしていたサミュエルとグロリアが無神経な股のゆるい女に生活を乱され、最後の和解したように見える彼らの心情が理解できないままグロリアが死んだ、という感じになる。

サミュエルが遊び人でなければ、グロリアが母親に会いたいと望まなければ、サミュエルが根気強くメッセージを送りつづけなければ、という後悔はある。
しかし、グロリアを余命いくばくにして殺す必要はあったのか、クリスティンを傲慢な女にし続ける必要はあったのか。

とにかく『気狂いピエロ』以来、『アメリ』にしろ『タイピスト』にしろ、フランス映画の鑑賞後は頭に「?」が浮かばなかったことがない。
差別はダメとわかりつつも、フランス映画と聞くと遠慮してしまいがちな自分ができあがっている。

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