小説『ウサギは4羽いた』

ウサギは4羽いた

ぼくは不思議に思っていた。
飼育小屋の鶏やウサギが、どうして逃げ出さないのか。

夏は暑くて冬は寒いのに、扇風機もヒーターもない。
いつも排泄物がほったらかしにされていて、遠くからでもわかるくらいきつい臭いがする。
飼育係はよくエサを忘れている。
つかまえては放り投げて、乱暴に扱うやつらもいる。

飼育小屋の扉が開いた少しのスキを見はからって、どうして逃げ出さないんだろう。


その日、全校集会でNPO法人の代表という人がスピーチをした。
体育館に集まる生徒は、まじめに聴く人や寝ている人、友だちとヒソヒソ話をしている人がいる。
まじめに聴いていたぼくは、この人なら答えを教えてくれそうだと確信した。

集会のあと、どうして飼育小屋の動物が逃げ出さないのか、その人に訊いてみた。
その人は口元の笑みを消し、まじめな顔をして答えた。
「いちど、動物たちになったつもりで考えてみるといいよ」


ぼくは下校中も、帰宅してからも、ご飯やお風呂の最中も考えた。

人が大きくてこわいから?足がすくんで逃げられないんだろうか。
逃げようとする考えがないから?
今の生活に満足しているから?

そうして考えているうちに、寝てしまった。


次の日も、木陰にある飼育小屋を横目で見ながら校庭を渡っていった。
遠目だからか、鶏もウサギも見えない。
なにかが動いている様子もない。

ぼくは結局、確かな答えにたどりつけないまま自分の席に到着した。


いつもと変わらない教室。
女子たちはいくつかのグループに分かれて固まって、男子はそれぞれ仲のいい友だちと数人で話したりふざけたりしている。

ぼくはひとりで考えていた。
昼休み、飼育小屋をのぞいてみようか。

チャイムが鳴って、生徒たちが散り散りに自分の机に戻っていく。
鳴り終わるころ、教室の扉が開いて担任の先生が入ってきた。

「え」

ぼくは困惑した。
入ってきたのがぼくたちの担任ではなかったからだ。

それは男物のスーツを着て、ネクタイまでしめていたが、人間でもなかった。
上付きの長く細い耳とビー玉のように透き通った赤い目、みつくちからのぞく伸びた前歯、そしてキラキラと光る白い毛を全身にまとっている。
人間の大人と同じ大きさをしたウサギだ。

「静かに」

ピンクの鼻をヒクヒクさせながら教室を見渡してウサギが言う。
その声は少し鼻にかかって甲高く、しかし教室の奥まで届かせるには十分な声量だった。

「早く入りなさい」

動揺がさらに動揺を誘う。
しかし、戸惑っていたのはぼくだけだった。
ほかの生徒たちは、自分たちの机があった場所にいつの間にか置かれた檻のようなものに進んで入っていく。
ぼくはわけが分からないまま、ならって入った。

と同時に「ガシャン!」と大きな音を立てて檻が施錠される。
ぼくは身をこわばらせて息をのんだが、みんなはただ静かに立っていた。

一通りの様子を確認して、ウサギは出欠をとる。
呼ばれた生徒たちは、さっきまでの活気を失い、静かに「はい」と返事をした。

檻のようなものは、ぼくたちの身長より少し上の高さで、四方は肘を張って開こうとすると目いっぱいに広げられないほどの幅しかなかった。

出欠確認が済むと、ウサギは一冊の本を出して言った。

「今日は教科書の24ページから」

ページをめくる音が重なり教室中に響く。
焦って探すと教科書は足元に落ちていた。

「今みなさんがいるのは極端な例ですが、たいていのケージ、例えばペットショップまでの流通過程では、そのくらいの狭さが普通です。
生後間もないウサギや犬、猫、フェレット、チンチラなど、たいていの小動物は、みな同じようにして狭いケージのなかで、長いときは数日間以上過ごすわけですね。
おなかを空かせてもご飯をもらえず、糞尿にまみれてもキレイにしてもらえず、ときには寒さや暑さで死んでしまうこともあります」

ぼくは教科書の表紙を見た。
大きく『わたしたちのきもち』と書いてある。

「ペットショップは、お客さんに買われるまで親身に世話をしてくれるところもありますが、運ばれてきたときと同じような、いやそれよりもひどい環境で過ごす動物たちもいます。
そして子どものうちに売れなかった動物たちは、よければ保護団体に引き取られ、悪ければその場で殺されるか生きたままゴミ袋に放られて廃棄されます」

教科書の24ページには写真が1枚だけ載っていて、それには積み重ねられたいくつもの段ボールと、その1つから顔を出す子犬が写っていた。
その隣のページには、子犬を高く掲げる人と、その人に向かい合ってパイプ椅子に座るたくさんの人が収められた写真が、やはり1枚だけ大きく載っている。

「流通の過程で問題があると判断された動物は、すぐ殺されるか、運がよければ他の場所へ安く、あるいは無償で提供されます。
その行く先の1つが、あなたたちのいる学校です」

話をとめたウサギが、もっていた教科書から顔をあげ、まっすぐにぼくを見た。
赤く透き通った眼には光がなく、表情は読み取れない。

「君はこの学校の飼育小屋にいる動物たちが幸せに生きていると、そう思いますか?」

ぼくはずっと考えていた疑問を言い当てられて緊張した。
そしてそうした方がいいように思えて、すぐに答えを返した。

「それは、わかりません」

そのまま少しぼくを見つめて、ウサギは教科書に目を落とし、そして教科書を閉じた。

「あなたたちにとっては、今の答えが正解です。意思疎通ができない動物たちの気持ちを完璧に理解することは不可能でしょう。ただ、」

またウサギの視線がぼくに向く。

「ご飯を十分に与えられていなければ、幸せでしょうか」

ぼくはまたすぐに「いいえ」と答える。

「では、自分たちの排泄物で小屋が汚れていたら?」
「いいえ」
「夏の暑さや冬の寒さに平気で耐えられる?」
「いいえ」
「叩かれたり蹴られたり投げられたりしても幸せ?」
「いいえ」

「そうでしょうね」
ウサギは教科書を片手に持ちなおして、もう片方の手でネクタイの結び目を器用に押し上げてただした。

「では、いつも清潔になっていて温度も快適、ご飯も満足に食べられる、誰からも暴力を受けない。これはどうでしょうか」

ぼくは返事に困った。
不幸ではないかもしれないが、幸せなんだろうか。
環境が整っていても、小屋は閉じられている。

「そうです」

ウサギはぼくの心を見透かしていた。

「不幸せではないかもしれませんが、また幸せとも限らない。
これもあなたたちには理解できないことです。想像もしなくていい」

ぼくは昨日全校集会で聞いた話を思い出すのと同時に、いつの間にか檻の格子がなくなって透明な壁に囲まれていることに気づいた。

「動物園や水族館、サーカス、レース、あげたらキリがありませんが、見世物として飼育されている動物たちも同じです」

ふと見た足元には水が浸り、徐々に水位が増している。

「ペットとして飼育される動物たちも同様。献身的に世話をされていても、不幸ではなくとも幸せかどうか、それはあなたたちにはわからない。
食用はもちろん、実験動物、毛皮や角を奪われるために生産されて刈られる動物たち、これを地獄だと想像することは簡単にできるでしょう。
しかし、もし彼らが彼らの役目から解放され、安全に暮らせるようになったとしても、その気持ちをあなたたちが知ることはできない!」

ウサギは昂ぶり、もっていた教科書を床に叩きつけた。
少し間をおいてそれを拾い上げると教卓に置き、深くため息をつく。
水は腰の高さまで来ている。

「野生で生きるにも、いつ食事にありつけるか、敵に襲われないかという不安があります。
仮にあなたたちがこの不安から動物たちを解放できたとしても、彼らは幸せになれるでしょうか」

ぼくに近づきながら、話を続ける。

「不幸ではないかもしれません。幸せでもないかもしれません。
しかしそれは、あなたには理解できません」

水位の上がる速度が増して、水はぼくの胸に届くと、すぐに口に触れた。
ぼくは両腕を壁に突っ張ってできるだけ高さを稼ごうとするが、壁についた手は滑り、バランスを崩して頭の先まで水に浸かる。
なんとか態勢を戻して這い上がり、つま先で立ちながら顔を真上に向け、パクパクと口を喘がせた。
ウサギがぼくのすぐ近くまで来た気配を感じた。

「でも覚えておいてください」

もう完全に飲み込まれていた。
透明な壁越しの、揺れるウサギと目が合った。

「あなたがその気持ちを忘れなければ、私は、私たちは不幸になることはありません。
私たちを不幸にしないでください」

意識が薄れていくなか、ぼくは「はい」という意味を込めて瞼を閉じた。


長い時間呼吸を止めていたあとのようにむせかえり、ぼくは目を覚ました。
パジャマが皮膚にはりついている。全身で汗をかいていた。

見ると窓の外は明るく陽が指していて、スズメの声が聞こえている。


いつもよりかなり早くに家を出て、校門をくぐるなり飼育小屋に向かった。

飼育小屋はやはり木陰で、陽はあたっていない。
獣の匂いとアンモニア臭が混ざって漂っている。

4羽の鶏が小屋のなかを歩きまわって、ときどき餌のようなものをついばんでいる。
その歩きまわる汚れた地面には、割れて中身が出てしまった卵があった。
ふと寝床を見ると、もう1つ卵がある。
しかし鶏たちは、2つあった卵には関心がないように歩きつづけている。

ウサギは2羽、寝床で固まって動かない。
柵越しに顔が見える1羽は赤い眼を開けたまま、鼻を小刻みに震えさせている。

ぼくは胸に暖かいものがじんわり広がっていくのを感じた。
そして「またね」と声をかけ、校庭に広がる土の匂いを勢いよく吸い込んで、職員室を目指して駆けだした。




※noteの「#こんな学校あったらいいな」応募作品です。

短編小説『ウサギは4羽いた』のあとがき。
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