寄付で感じる妬みと嫉み

指原莉乃が大分県や赤十字社に総額2000万円の寄付をしたという。これを聞いて私が真っ先に思ったことが「稼いでるんだなあ」とか「余裕があるのね」というもの。人の良心を信じられない人間に寄付する良心は生まれるのだろうか。

誰かがなにか多額の寄付をしたと報じられると、「稼いでるのね」とか「余裕がある人はちがうね」とか、真っ先に浮かぶのはそういう思いだ。
そして次に「偉いなあ」とか「私も余裕ができたらしよう」とか考える。

これが人の良心を信じられない人間の思考回路だ。

仮に2000万円寄付した人の総資産が20億円だとする。
総資産の1%を出した計算だ。

これを総資産200万円の人間に置き換えると、2万円寄付する人はどれくらいいるだろうか。
総資産が2万円の人は、200円寄付するだろうか。

答えは「する人もいるし、しない人もいる」。
そう、いくら持っているかは重要ではない。

もう1つの問題

別の問題で、多額の寄付を払った人だけが取りざたされるということがある。

資産の金額に割り当てれば、2万円寄付した人は、総資産が200万円なら1%、20万円なら10%、反対に2億円なら0.01%出したことになる。

20万円しか持ち合わせがない人はほとんどなけなしの金額を寄付しているのに、より多額の寄付にかき消されてしまう感覚がある。

とここまで考えてみたが、慈善の愛をもつ人はこんなせこいことは考えないのだろう。
外野が騒いでいるだけで、当事者は特に気にしていないのかもしれない。

ちなみに

私はこれまで1度も寄付したことはない。
「この商品を購入すると売上金の一部が●●に寄付されます」と記載された商品を進んで買うことはあっても、見返りなしで金を出したことはない。
もしかしたら小さいころに街頭募金でチャリンと入れたことはあるかもしれないが、それも記憶は定かではない。
今や町中で必死に叫ぶ人たちを見ても、その時間バイトでもしたら効率よく稼げるんじゃないでしょうかと見守る冷ややかな人間にできあがっている。

別に寄付することに否定的というわけではない。
動物保護団体や人権団体への寄付を考えても、数が多すぎて選べずに終わる。
時間があるときにゆっくり選ぼうと思っても、優先順位は下なので次がこない。

こんな感じなので私がどこかに寄付することは生涯ないのかもしれない。
「余裕ができたらやる」と言う人間に余裕が生まれることはない。

とりあえず真っ先に「すごいなあ」と思えるようになれば、少し希望は出てくるんじゃないかとは思っている。

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