マジックミラーが与える虚像と安心感

新型コロナウイルスの感染拡大は、人間関係の整理をするきっかけになった。誰がどのような考えもってどのように行動したか、その人はどのようなひとだったか、私は決して忘れない。

SFに出てくる超能力や魔法、怪異などは、実際に見たことがないだけで、存在している可能性があると考えている。
存在しないことも証明できないよね?というロジック。

一方、芸能人やYoutuberは、実際に見るまでその存在を信じない。
見るだけでなく、会って初めて「この世にいる」実感がわくかもしれない。

だからなのか、今まで情熱的に誰かのファンになったことはないし、応援しようと思ったこともない。
もちろん好き嫌いはある。

我、自粛の極み

誇張抜きで、私は1月末ごろを境に自宅から半径5㎞以上外に出ていない。
記憶は定かではないが、6月以降は恐らく半径500m以内で過ごしている。
犬の散歩を除けばほぼ毎日24時間家にいて、当然遊びに出ることはないし、買い物も100%通販で済ませている。

新型コロナを恐れない人にとっては異常にうつるかもしれないが、昔に肺炎を患っている身としては、二度とあの苦しさを味わいたくない。

バイリンガールちか

自然体で明るい雰囲気が好きで、よく観ていた。
世界各国を飛び回るフットワークの軽さには憧れすら抱いていた。

しかしそれが仇となり炎上し、活動自粛。
先日、活動自粛から4か月の時を経て、久しぶりの動画をアップしていた。
まだ観てないし、一生観ないかもしれない。

炎上の発端は、マレーシアにプチ移住していたちかが、コロナ禍が大きくなりつつある日本に戻ろうとしたことに始まる。
敏感になった日本のネット民は彼女の行動や考えに激怒し、誹謗中傷を繰り返した。

日本への帰国を聞いて、私も最初は「気の回らない人だ」と不快に感じた。
親しい人に同じような言動をとる人がいれば待ったをかけ、注意するかもしれない。

しかし冷静になってみると、私はバイリンガールちかと親しくないし、会ったことすらない。
私にとって、彼女はYoutubeに住んでいる架空の人物だ。

人を殺した漫画の登場人物に向かって非常識を説くほど、私は情熱的ではない。
現実に寄せて例えれば、マジックミラーで仕切られ、こちらが見えない人に罵詈雑言を浴びせるほど陰湿なものはない。
向こう側の人間が自分の姿しか見えていないのも問題だが。

しこりは残る

新型コロナの感染拡大は、人間関係を整理する絶好の機会になった。

数少ない友人関係を断つのは悔しいが、遊びに誘ってくる人を切り、考えが合わない人を切り。
これが正しいのかはわからないが、感情のまま動くことにした。

誰かに感染させ、その人が死に至るリスクを考えられない人とは合わない。
身近な人が死ぬことを想像できない人とは合わない。
「経済を回す」とうわごとのように言い続ける輩とも合わない。
資本主義とは?

でも自由に遊んでいる人を咎めようとは思わない。
ただ、そういう暮らしをしたせいで誰かが死ぬことがあれば、非難されるのは仕方ないことだと思う。

店側も同じように、開けてそこで感染した誰かが死んだときの重圧を気にしないメンタルがあれば、堂々と営業すればいい。

まあ今こんな風に強く言えるのは、私は自粛しているからという後ろ盾があるからかもしれない。

私だってジムにもカラオケにも行きたい。旅行もしたい。
しかしもしものことを考えると今はできない。

だから私の考えが行き過ぎていると思う人とは合わないし、私も自分の虚像しか見えていない人とは付き合わない。
それは芸能人やYoutuberでも変わらない。

人は忘れる

直後にはシムラシムラ言っていても、その時の感情のまま行動し続けている人は少ないだろう。
身近な人の死も実感がわきにくいのだから無理もない。
ちなみに矛盾するかもしれないが、志村も藤原啓治も三浦春馬も人目たりとも会ったことはないが、私は未だに悲しい。

バイリンガールちかも、今は色眼鏡なしで視聴できる人が少なくても、数年経てば以前のような支持を得ているかもしれない。

そして数十年、数百年経った先、また未曽有の危機に面しても、人は同じように泥沼にはまるのだろう。

避けるのは難しいかもしれない。
でも私は抗いたい。

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