無償の愛とはなにか 英二とゆでたまご

板東英二とゆでたまごから無償の愛について考える

水曜日のダウンタウンで検証された、「子どもからもらった松ぼっくりを家まで持って帰らざるを得ない説」。
この回で板東英二のとった言動が物議をかもした。

ロケ中に出くわした親子に握手を求められて対応し、そのお礼として子どもに松ぼっくりを渡される。
その子の「大事なもの」として、「大切にしてください」と。

バイキングの西村は「天然の着火剤」として重宝し、ナダルはそっと木陰に置き、野生爆弾のロッシーは息子と自由研究の材料にした。

かのゆでたまごの男は、即座に捨てた

目の前に再び現れ、写真撮影や握手を求める親子を毅然とした態度であしらった。

問題視されたのは、スタッフに松ぼっくりを捨てた意図を問われたあとの、「板東英二の発言をカットすることなく放送することを約束し、違えた場合は2億円払え」という発言だ。
前後の問答を端折って書いてしまうと、ニュアンスの違いや誤解が生まれると思うが、ここでは言及しない。

そして番組の趣旨通りにゆでたまご氏を非難する人もいれば、番組の企画者を批判する人もいる、ということも取り立てて触れない。

ただ、もし私がタレントとして同じように松ぼっくりをもらったら、誰に一番近い行動をとっただろうか。
答えはロッシーでナダルでゆでたまごだ。
子どもの気持ちは受け取り、丁重に土に還し、しつこくつきまとわれればあしらう。

どこの誰とも知らない子どもから、その辺で拾ってきただけの松ぼっくりを渡されて「大事にしろ」と言われる。
「大事にしろ」の押しつけがましさたるや。
たるたる。

そう、ここで本題の「無償の愛とはなにか」が私のなかに渦巻く

もちろん、松ぼっくりの一件が無償の愛とほど遠いことは明白だろう。

しかし、勝手に好意を伝えられ握手を求められ、木の実を渡されたあげく「大事にしろ(捨てるなよ)」とくぎを刺される。
感情を名づけるとすれば、「傲慢」だろうか。

「この松ぼっくりがわたしの宝物という意思は無条件にあなたにも受け継がれるよね?だって私の大切なものをもらったあなたは幸せなはずだから」

実は、私を含めたほとんどの人がこのロジックで生きていることに改めて気づく。

人は、客観的にプラスになるような働きかけをされたら、働きかけをしてきた人に「ありがとう」とお礼を言う。
そして働きかけた人は、意識的にか無意識的にか、お礼を言われるのが当たり前だとしている。

「好き」に代表されるプラスの感情は、人に伝えれば何かしらのお礼が返ってくることを当たり前として生きている。
お礼が返ってこなければ、「裏切られた」としてマイナスの感情が引き起こされる。

つまり、「人は常に見返りを求めて生きている」ということだ

もちろん意識的に「見返りを求めることなく」生活している人もいるとは思う。
でも潜在的には見返りほしさは捨てきれず、この傲慢な勘違いから100%解放されるのは難しそうだ。

別に見返りを求めるのが悪いとは思わない。
特に恋愛で言えば、持ちつ持たれつ、与え与えられてが自然ではないか。

ただ、「無償の愛とはなにか」という命題を考えずにはいられない。
煩悩や感情を振りほどいて隣人を無条件に愛することができるのだろうか。

たとえば思いつくのは、「ターゲットとは一切接触せずに、陰からサポートするストーカー」だ。
ターゲットには、恋人もしくは愛する妻がいる。
ターゲットとその家族が幸せになるために、あらゆる手段で金も地位も名誉も健康も、場合によっては愛人さえも与える。

これは無償の愛か。
否、「ターゲットが幸せだと幸せになる」見返りを得ている有償の愛だ。

「恵まれない人に金銭や食べ物などの生活支援をする」ことは?
社会貢献欲を全く持たず、感謝も求めず、「恵まれない人たちが救われる」ことだけを期待する人であれば。
これは一見、無償の愛に見えるが、「送った支援を現地の活動家が恵まれない人に直接届ける」ことを前提としての行動だ。
無償ではない。

では、「現地で恵まれない人に直接手を差し伸べる」のはどうか。
私の想像のもとでは、自己肯定感を求める行為にあてはまる。

そもそも、人が人と対峙して交われば、心が動く

「無償」とは「対価のない」こと。
「価値」とは、いわば「動機づけ」ではないのか。

人が我を忘れない限り、行動や感情は動機なしでは起こりえない。
そうすると、無償の愛は存在しないのではないか。
というより、無償の感情というものがありえないのではないか。

見知らぬ子どもからもらう松ぼっくりは、無償では愛せない。
でももらって金銭が生まれれば、愛することができる。

「子どもからの好意」を価値として見いだせれば言うことはない。
これがゆでたまごにも私にもできないというだけだ。

ゆでたまごは迷わず捨てた。
松ぼっくりは何に代わるのか。
私は捨てずに考えたい。

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