他人は疑え ペット、子ども、コロナ、

子どもは執拗にヒガシマルのCMソングを歌う

ペットリテラシーのなかで、「万人が動物好きだと思うなかれ」というものがある。
ある統計によると、国内の3人に1人が動物好きではないという。
現に、散歩中に愛犬を蹴られるなどの傷害事件が多く起きている。

自分の「うちの子はかわいい」を人に押し付け、はたまた「こんなにかわいいうちの子は誰からも愛される」と盲信してはダメなのだ。

ただ、加害者は決して積極的に動物虐待をする人間ではないと思う。
たいていの場合、飼い主が必要以上に愛犬を加害者に近づけさせたことで起きたのではないだろうか。
でもまあ動物に危害を加えるゴミクズということに変わりはない。

笑顔で近づいてきたおばあちゃんが「あらかわいいわね」と言いながら蹴ることはないだろう。
しかし、逆に愛犬が近づいてきた人にケガをさせてしまうリスクも考えると、どんな人に対しても、他人であれば距離をとるのがマナーだ。

「子どもはみなかわいい」という人がいる

先日、電車のなかでひたすらCMソングを歌う男の子がいた。

乗客はまばらで、その歌声が車内に響く。
靴を脱がずにシートに乗っている。
親は止めるどころか一緒に口ずさみはしゃいでいる。
「き、つ、ね、き、つ、ね、き、つ、ね、」
きつねしか言わない。

私の近くにいた男性が、男の子の調子に合わせて口ずさむ。
連れの女性に「これCMで流れてるよね」と楽しそうに話しかける。

女性は無愛想に顔をそむけた。

自分の心の狭さや薄暗いものを露わにするようで少し躊躇するが、あえて言おう

「黙れ小僧。家で歌え」

実際にその場で言ったかは皆様の想像にお任せするとして、私がこのとき感じた嫌悪の対象は3種類あった。

1つは、電車内で歌う子どもに対して、1つは注意せずによしとする親に対して、1つは子どものすることに対して無条件で寛容になれそうな近くにいた男性に対して。

しかしいくら準ゴミクズな私でも、全面的に子どもを悪者にする考えはもたない。
セーブの効かせられない年ごろの子どもが行うことの責任は、親がとるべきだと思うからだ。
子どものすることだ。しかたない。

親も親で、やんちゃな子どもの相手に疲弊していたのかもしれない。
注意すればもっと騒ぐことを恐れて、便乗することを選んだ可能性もある。
他人にはわからないその子の親の苦労がある。これもしかたない。

私の近くにいた男性。
連れの女性の反応が薄くても話しかけ続ける「子どもはみなかわいい」がモットーのこの男性。
こいつだけは。

私の性格がひん曲がっているのは承知の上。
なにかバックグラウンドに重いものを背負っているとしていても、この男のもっていそうな「無条件の愛」思想は受けつけない。

「子どもはみなかわいい」の精神を理解することはできるが、共感はできない

顔、声、表情、仕草、性格のいずれかに「かわいい」の要素があって初めてかわいいと判断できるものではないか。
きつねを連呼する男の子は、しかたない要素はあっても「かわいい」要素は見つけられなかった。
これは私がおかしいのだろうか。

少し話は変わるが、私は動物も昆虫もほとんどがかわいいと思っている人種である。
顔、声、表情、仕草、性格、どれをとってもかわいい。

私にとって、人の子どもとの違いはなにか

昔、中世で子どもを「小さい大人」として見ていたのと似た感覚なのかもしれない。
自分と同じ種類の動物が、自分と同じようにモラルを守れない様子を不快だと感じているのか。
そもそも「(小さい)大人」を無条件にかわいいとは思わないだろう。
証拠に、自分と違う種類の野生動物を彷彿とさせる子どもは「かわいい」と感じる。

ペットリテラシーの話と同様に、子どもが好きな人もいれば嫌いな人もいる。
きっと私のように簡単にどちらかと言えず、苦手な人や好きではないという人、条件付きで好きだという人がいる。
「万人が子どもを好きだと思うなかれ」だ。

散々言ったあとで信じてもらえないかもしれないが、私はすべての子どもを無条件にかわいいと思えないだけで、子どもは大人や社会が守るべきだと思っている。
そのうえで、「万人が子どもを好きだと思うなかれ」と他人を疑うことで、子どもが安全に暮らせる社会づくりが必要だと考えているのだ。

こんな大仰なことを書くつもりはなかったし、ここで終わらせることもできるのだが、少し漠然とヘイトした「子どもはみなかわいい精神をもった男」の話に戻ろう。

きつねの男の子と同じ電車内にいた男の話である

なぜ、私はこの男をそこまで嫌悪するのか。
答えは、「自分の考えや感覚に疑問をもたなさそうだから」だ。
完全な言いがかりだ。
生理的に受け付けないとほぼ同義。我ながらひどすぎやしないか。

なぜ、私はこの男をそこまで嫌悪するのか。
答えは、「自分の考えや感覚に疑問をもたなさそうだから」だ。
完全な言いがかりだと責める人もいよう。
生理的に受け付けないとほぼ同義。我ながらひどすぎやしないか。

でも人間ってそういうものだと思う。
理屈で語れないなにかがある。
だから人同士のいがみ合いや争いは絶えず起こる。
ペットや子どもに危害を加える人がいる。
ただ同時に、固定観念で縛りつけてしまってはつまらないとも思う。

他人は疑え。
そうする必要が、私たちの社会にはできてしまっている。

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